JS4-1:遺伝子発現のノイズと表現型のゆらぎ
産業技術総合研究所
地球上の生物が“種の保存”という使命を果たすには、生理反応が秩序を保って機能する「恒常性」と、遺伝情報を正確に子孫に継承するための「正確性」という二つの要素が不可欠である。一方、これらと対義の「不均一性」「不確実性」という要素は一見して生存戦略において不利に働くように思われるが、生物は生きる過程でこれらと巧みに付き合い、むしろ進化的アドバンテージを得るための一要素として利用していると我々は考える。
この仮説をモノクローナルな細菌集団をモデルとして考えてみたい。そもそも生命の最小単位である細胞は小さく、一個一個の細菌細胞をダイレクトにハンドリングするのはスケール的にも定量的にも非常に難しいため、従来の微生物学では実験室環境で細胞を純粋培養し、得られたクローン細胞集団を均一な細胞集団として扱うことで様々な生命現象を解明してきた。しかし、この過程で得られたデータはあくまで細胞集団の“平均値”であり、厳密にはクローン細胞集団を同じ環境下で培養したとしても、個々の細胞レベルのmRNAやタンパク質の分子数にばらつきが存在するはずである。この“見えない”確率論的な遺伝子発現のばらつき (ノイズ) が、それぞれの細胞の個性的な挙動や表現型を生み出し、bet-hedgingやcooperationに代表される進化適応戦略に貢献していると考えられる。
近年、我々は分子遺伝学的手法ならびに単一細胞レベルでの遺伝子発現解析を駆使し、細胞のストレス・飢餓応答を制御する因子 (RpoS) の発現ノイズが、遺伝子水平伝播に関わることを明らかにした。すなわち、細胞内におけるRpoSの量的変動に依存して一部の細胞が水平伝播に関わる遺伝子群の発現をオンにし、隣接する他細胞にDNAを伝達するのである。さらに、RpoSに制御される遺伝子の機能とそのノイズの性質に顕著な関連性があることも見出された。また、興味深いことに、この遺伝子水平伝播と同時に宿主細胞が必ず死滅するという新しい現象を発見した。遺伝子水平伝播とプログラム細胞死がなぜ確率的なゆらぎとして起こるのか、様々な視点からその意義を検討する。
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