第17・18期会長挨拶
「学会不要論」を受けて学会長となった私からのご挨拶
本年1月から微生物生態学会長を仰せつかりました。よろしくお願いいたします。昨年10月の本学会横須賀大会において「学会って必要か?微生物生態学会ってホントにいるけ?」という奇想天外なセッションが密かに仕掛けられ、あろうことか南澤(前)会長とMicrobes & Environments かつ日本微生物生態学会誌(つまり本誌)の(前)編集委員長をしていた私が壇上にて血祭りに上げられるという経験をしました。学会否定論者・懐疑論者の役回りのお三方(いずれも著名な研究者)と本セッションのプロデューサーであった高井研博士の容赦ない攻撃に晒され、気の弱い私とマジメな南澤会長がたじたじになるという恐ろしい経験をしたのです。
私を震撼させたこの企画には実はある種の予定調和が仕組まれており、ベートーベンの第九交響曲のように惨劇は賛歌で結ばれました。これをライブで楽しんでくださった方々も多数おられるでしょう。ここで申し上げたいことは、伝統と格式のある学会では学会自身の存否を問うこと(しかも学会長に向かって…)など「絶対」あり得ません。つまり微生物生態学会は「絶対」あり得ないことができる学会ということになります。これは遊び心とそうした事を「重要」かつ「面白い」と思える精神がこの学会には息づいているからです。こうした雰囲気は今後も守らなければなりません。もちろんこの企画の最も重要な部分は「学会は本当に必要なのか、学会運営をする私達はどのような考えで臨むべきか、学会員の皆さんは何を享受し何を望んでいるのか」ということをあらためて問うたことです。こうした問いを総合し、あらためて「学会が果たすべき役割、学会員が望むこと、そして学会員がなすべきこと」を考え直してゆくことはとても重要であると考えています。
微生物生態学会は基本的に農学、工学、理学、医学、環境科学などに存在する微生物学分野の研究者と学生の寄り合いの場であると言えます。個々の会員の立場で言えば、微生物生態学会はそれぞれの会員(少なくとも一般会員の皆さん)が母体である別の学会に所属していて、その上でこの学際領域である微生物生態学会にも所属している、という方々がかなり多いというのが私の認識です。一方、それぞれの皆さんが所属する母体学会というのは伝統と格式を重んじる大きな学会も多く、それぞれに窮屈で堅苦しい部分があると感じている方も多いと認識しています。事実、多くの会員の皆さんから微生物生態学会に参加すると、若さと自由が溢れていていつも楽しい、という声を聞きます。そうだとすればこの学会は「伝統と格式とは無縁、来る者は拒まず、去る者は追わず、常に新しい気風を入れてゆくこと」が何よりも重要である、という一つの考えに行き着きます。組織は膨張することを無意識あるいは意識的に望み、歴史を重ねるうちに惰性が組織を動かし、独自のヒエラルキーや派閥構造が形作られてしまうものです。
学会は皆さんが現実に帰属している大学、研究機関、企業等ではありません。もしかしたら疲弊し崩れつつあるかもしれない組織から飛び出して「ここに来れば、多くの意識を共有でき、新しい知識や知見が得られ、誰とでも分け隔て無く話ができ、やる気が沸く」と思える自由な人間交差点になるための学会を目指してまいりたいと考えています。
日本微生物生態学会 会長 鎌形洋一
(追記)ちなみに上記の「学会不要論」の議論のエッセンスは岩波書店の月刊「科学」2017年1月号に高井研博士ならびに川口慎介博士により発表されています。是非ご覧下さい。